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スタンダードな人達。

スタンダードな人になりた~い。

スタンダードな人になりた~い。

スタンダードな人にしかなれな~い。

 

そうなんですよね。矢野顕子さんのことを糸井さんは「ピアノが愛した女」と称したそうです。矢野さんがピアノを愛しているのではなく、ピアノから矢野さんにすり寄られているようなのです。スタンダードというのは、きっと矢野顕子さんのように、なにかにすり寄られるような人の事では無く、誰からも愛されず、モノからも愛されず、自分から何かを愛することでしか、自分を確立できない人の事を言うのでしょう。残念ながら、僕はそうでしょう。まだ22歳だぜ諦めんなよ、と自分に言い聞かせたい気持ちも山々なんですけどね。

しっかしスタンダードな人が悪いか、と言ったらそういうわけでもないような気がします。「生きる」というのはもうまるごと全部を指していることだと思うからです。つまりは、寝て起きて、歯を磨いて、ご飯を食べて、掃除をして、軽いスポーツななんかしちゃって、仕事も頑張って、また寝る。こういうことを「生きる」というのであれば、きっとスタンダードというのは生きているということなんだと思うのです。

何でこんなことを言っているのかと言うと、梅田にスタンダードカフェというブックカフェがあります。僕はそこが結構好きで、月に1回くらいは行っているのですが(これを好きというかどうかの判断はお任せします。(笑))「スタンダードな人」という紹介の基に、糸井さんや、松浦弥太郎さんと言った方の出した本や、エッセイなどが並んでいます。そこの本をパラパラめくってみると、うわあ、楽しそうに生きているなあと本当に思います。月並みで申し訳ありませんが、僕みたいな大学生の心にはズドンとドストライクなわけです。どんな生き方かと申しますと、まあなんら普通の人と変わらないです。至って普通のライフだと思います。だけれども、どれをとってもひとつずつちょっといい。って僕は思いました。普通の人だったら気にも留めないような箇所をよりよい暮らしを目指している、いや、目指しているというよりは自然とそうなっているって感じがまたいいんだと思います。

こういう人にはかなわないと思うなあ。仕事まで生活の一部にしたいなとすごーく思います。うん、それがいいなあ。