カーブ少年

カーブ少年
 
彼は無性にカーブを投げたいという欲にかられていた。
彼は、小学生の頃から野球をやっていた。ポジションはキャッチャーだった。
少年野球のコーチからお前は太っているからキャッチャーをやれと言われて以来キャッチャーをやり続けている。
太っていること、というのは彼にとって特段卑下するものでもなければ、もちろん自慢するようなことでもなかった。
彼自身、自分のことを太っていると思っていたのでコーチに太っているから、という理由でキャッチャーに任命されたときも
「太っていたら、キャッチャーになるのか」と新たな学びを得たに過ぎなかった。
 
彼は小学校、中学校と年を重ね、今では高校一年生となった。彼は野球部に所属し、一年生ながらにしてキャッチャーというポジションを先輩から奪い取った。
中学の頃から、深くキャッチャーの事を知りたいと思い歴代の有名な捕手の出した本は全て読み、野球妙も1985年度版から全てを読んでいた。
彼には独自の理論があった。それは、野球とは騙すスポーツである、ということであった。
野球には独特の間がある。一つ一つのプレーの間に、参加している全ての人間が考える”間”がある。
その”間”が彼はとても好きだった。この”間”がなければ、キャッチャーどころか、野球すら辞めてしまっていたと思うほどに彼はこの”間”を愛していた。
彼は守備をしているとき、バッターをどう騙すかを熟考するが、投手の球を捕球してから、投手に次のサインを送るまでの時間、その”間”はほんの1秒にも満たないであろう。
しかし彼にはその”間”を独特の時間感覚で使う才能が有されていた。我々にとっての一秒は彼にとっての1秒ではない。
もちろん彼が生活全般において、この能力を駆使できるわけではない。彼がその能力を使う事が出来るのは
その”魔”とも呼べる”間”だけであった。彼が”間”を好きな理由はそこにあった。彼は投手が投げた球が自身のミットに収まった時から始まる(永遠とも呼べる)時間を
心から楽しんでいた。どう騙し、どう欺くか。打者の考えることの裏の裏の裏まで考えた上で自身の結論を出す。
それは彼を、広大な宇宙の中で、平泳ぎをしているような感覚にさせた。
 
続く。