カーブ少年2

カーブ少年2
 
この日も、彼はキャッチャーとして試合に出場予定であった。
彼は3年生の飛騨の球をブルペンで受けていた。
「おーい、坊主、今日の俺の弾はどうや」
飛騨は彼のことを坊主と呼ぶ。彼はこれに関してもわれ関せずといった具合で受け答える。
「いつもより、球威がありません。」
「関係あるかい。俺の球がまともに打たれたことあるか?」
「3回まともにホームランを打たれました。」
「それは全部カーブやろ。おれのまっすぐはまだ誰にも打たれたことはない。そやろ」
「たしかにそうです」
事実その通りであった。飛騨の弾は全練習試合の中でまともにクリーンヒットを打たれたことすらない。
飛騨の弾は明らかに高校生が投げる一般的な「球」とは一線を画していた。
だから、飛騨も彼も、飛騨の球を「弾」と呼んでいる。お互いにそういう共通認識を取り合った。
なぜかは分からないが、この共通認識をとってから、彼らの仲は深まったし、以前よりも飛騨の球威、球速は上がった。
 
しかし彼は、飛騨の「弾」に対して好意的ではなかった。
飛騨の弾はあまりにも品質が良すぎて、彼が考えるまでもなく、対戦相手を打ち取ってしまう。
対戦相手が飛騨の弾になすすべがないように、彼もまた、試合中、飛騨の弾を受ける以外になす術がなかった。
彼は守備中でも攻撃のことを考えるようになった。そのようにして、飛騨の弾は、彼の楽しみ、間の存在を彼に忘れさせた。
彼が間の存在を思い出したころ、彼の才能は消えていた。彼が無限のように扱えたあの1秒は、我々にとっての1秒と何ら変わらないただの”1秒”になり下がった。
その時彼は野球をやめてしまおうかとすら思った。なぜなら彼が野球をしていたのは、あるいは愛していたのは、あの間があるからこそであった。
しかし辞めたところで、あの間は戻ってはこない。他のスポーツには、定期的に訪れるあの魅力的な間はない。
彼は野球を続けることにした。飛騨の弾を受け続ける事にした。
 
その頃からだった。彼がカーブを投げたいと思い始めたのは。
 
続く。